自己洞察のきっかけとなったエピソード

先日、写真家のHPに「京都造形の通信、実は写真コースから芸術学コースへの転籍を考えています」という記事を書きました。
内容は美大のカリキュラムで写真以外の様々な芸術や思想について初めて本格的に学んだことで、それらへの興味が一気に花開き、その結果ある意味皮肉にも本来学びたかったはずの写真への興味が相対的に低下してしまったというものです。

承認・賞賛などの他者評価欲求が低下した

実はこの記事には書かれていない、もう一つの変化がありました。それは承認・賞賛などの他者評価欲求が大きく低下したことです。

これまでの私はコンペに積極的に応募するなど写真家としての評価を得るために様々な努力を重ね、またその結果に悔しさを感じてきました。
ところが、これほどまでにこだわってきた他者評価が今回の心境の変化をきっかけに、どんどんなくなって来ています。

もっとも写真への興味が相対的に低下したのですから、写真家としての評価に関心が薄れるのも当然でしょうが、今回の出来事はそれだけでなく、その変化はおよそあらゆることに波及し、つまり他人からの評価自体への関心が薄れてしまったのです。

自己洞察:

何かに関心が集中すると他者評価欲求が高まり、分散するとそれが低下する

この私の変化から推測されることは、何かに関心が集中すると他者評価欲求が高まり、逆に分散するとそれが低下する傾向の存在です。
そしてそのような傾向が存在する理由は、カウンセリングのHPに書いた「居場所は複数あった方が楽~精神のノマドのすすめ」の内容と関連しているように思えます。

この記事では居場所が一つしかないと、その唯一の居場所を失う恐れから他人に必死に好かれようとする強迫的な傾向が生じ、その結果、心地良いはずの居場所が、過剰な気遣いを必要とする苦痛な場へと変貌してしまうことなどについて書きました。
この居場所と同じようなことが、関心でも生じているように思えるのです。

つまり関心がある一つのことに集中していると、それに多くの精神的なエネルギーが注がれるだけでなく、そうした多大な努力のいわば見返りとして、その結果への評価を求める欲求が生じるのではないかと考えられます。
また関心事はその人の自尊感情の主要な要素でもありますので、それが一つしか存在しないと「自分の存在価値はその評価如何にかかっている」というような強迫性を帯びがちになります。

それに対して関心が複数のことに分散している場合には、それぞれのことに注がれる精神的なエネルギーも少なくなりますし、またあることへの評価が芳しくなかったとしても他にも取り組んでいることがあるわけですから、前述のような強迫傾向も生じづらくなるはずです。

以上のような理由から、これまでの仕事以外の関心事では写真家としてのキャリアアップが大きな比重を占めていた状態から、関心が芸術全体へと広がり、さらにその関心の在り方がキャリアアップという他者評価なしでは成り立たないものから、好奇心というそれを必ずしも必要としないものへと変化してきたことが、他者評価をこれまでほどには必要とはしなくなった要因ではないかと考えられます。

追伸)キャリアアップには地位名誉を求める気持ちも含まれていることもありますが、それらも肯定的な他者評価なしには成立し得ないものですので、今回と同様の解釈が可能と思われます。